ひとりじめにしてはもったいない話

自分の人生の遍歴や古文書ホツマツタエなどについて綴ります。

なぜ人は旅をするのか①

なぜ人は旅をするのか。

そう尋ねられたら、人それぞれに理由はあると思う。

観光のため、美味しいものを食べるため、友達と楽しむため、思い出作りのため、あるいは何となくの出来心から。どれも妥当だし、僕も大抵似たような気持ちで旅行に行くことが多い。

 

でも、前回のブログで話した、僕が日本一周をしたということの理由は少し違う。その理由を説明すると、僕の中学校や高校時代にさかのぼることになる。

 

中学生の頃の僕にとって、学校の歴史の授業というのはひどく退屈で、覚えることが多く、どちらかというといやなものだった。

僕はもともと記憶力が悪かったから、ひたすらに年号を覚え、長たらしい出来事を覚える作業に、他人よりも多くの時間を割くことになった。努力すれば、テストではいい点数は取れたものの、覚えたことなんてそれっきりで、怒涛の高校受験を乗り越えた後は、すっかり歴史嫌いになっていた。

 

新しい高校では、世界史選択が必修だったから、苦手なりに世界史を勉強したものの、全然捗らず、高校では一気に落ちこぼれて、暗記をするということがますますいやになった。

教壇に立つ先生は何かを熱心に話しているように見えるけど、イマイチ内容も飲み込めず、暗記重視の詰め込み型の日本の教育に段々と疑念がつのっていた。こんなものを覚えて一体何になるんだろう?と。

 

大学受験は世界史を選択するつもりだったから、その後も世界史の授業だけを受講し、高校で日本史を学んだことはついに一度もなかった。

そんなこんなで鬱々とした受験生活を過ごし、なんとか東京の私立大学に合格した。大嫌いだった地元から逃げるように離れ、僕は東京での自由な生活を謳歌することになった。

 

その頃の僕の頭には、もう学校で学んだ日本史の知識やそれに対する関心など無いに等しかった。受験戦争を終えた他の学生と同じように。

だって歴史という科目は、大学受験をクリアするための科目の一つであり、その一つの手段に過ぎなかったから。受験という目的が果たされたら、別にその手段なんて必要ないのだから。

 

それに、僕は日本という風土、国柄に興味を持てなかった。日本は、集団主義の傾向が強くて、個人の意見がないがしろにされることも多い。上下関係も厳しいから、年長者の意見に従わなくちゃいけないし、窮屈だ、と。

日本は西欧のように個人主義でもって、もっと自由に、上下関係にとらわれずにもっとフェアになるべきだ、アメリカのような進んでいる西欧の国に日本は倣うべきなんだって思っていた。

だから、当然日本史どころか、日本自体に対する関心もなく、むしろ批判と非難ばかりを向けていた。僕にとってはそれが普通の状態だった。

 

でも、そんな僕に一つの転機が訪れた。それは20歳になったばかりの冬のことだった。

 

 

次へ続く。